tanonteer.taigart.com : シュザイ


シュザイ

2011年05月23日


昨日、とはいってももう一昨日になるけれど、某出版社の取材を受けた。いきさつはというと、この間メディアテークでトークを聞きに来ていた別な某出版社の人がその別な出版社の友人に僕の話をしたところ興味を持ったとのこと。いろいろやることがあって忙しかったので家の近くのファミレスまでご足労頂き、トークを聞きに来ていたその人も同席して小一時間話をした。

その話の最中、世間にいかにボランティアに行くことを躊躇している人がいるか、というのを聞いた。そういえば、タノンティアに参加した人や僕の友人知人からもそんな気持ちを何度か聞いていた。何でそんなに迷うのか僕にはナゾで仕方ない。

たとえば確かにボランティアの数が増えて車が増えれば渋滞する。僕もその渋滞のせいで十分な睡眠時間を奪われていたりする。けれど、そんなのは僕が我慢すればよいことだ。そもそもボランティアには自己犠牲はつきもの。お金も無くなれば時間も無くなる。ケガや病気のリスクもある。ただ、困っている人、これから自分よりもっともっと被災を背負って向かわなければならない人たちの状況と比較すればハナクソ程度のことだろう。
因みにその退屈な渋滞の時間の過ごし方としてツイキャスとかやっちゃってるし、それはそれでタノしい。

とにかくボランティアの数が増えれば増えるほど瓦礫やヘドロは減っていき、被災者の安らげる我が家は増えるし先に進む。そりゃ、被災者たちも交通渋滞の犠牲にはなるけれど、それを少し我慢してくれれば、ほかの誰かが助けられている。今となってはもうガソリンや物資も流通していて「物資が届かなくて死にそうに困っている」という状況ではなかろう。

自分が行っても迷惑になるんじゃないか、と考えている人も沢山いるという。迷惑にならないように動けばいいだけだ。ボランティアは半ばお節介と表裏一体。よりよく役に立つことを肌で感じてやればいい。何もしなければ何も起こらないし先には進まない。行って見なければ必要なことも必要じゃないこともわからない。

グチグチとモンスターボランティアとか挙げたり、迷惑になるかも、なんてことをいっている輩はきっと被災地へは足を運んだことの無い人だろう。すさまじい数の瓦礫やヘドロを目の前にしたらそんなこと言ってられない。

友人の写真家である父親は、被災地へ撮影に行ったつもりが現場の状況を見たら写真を撮るだけではいられずに、結局ボランティアをしてきたらしい。現場に行けば真っ当な人はそうなる。僕のタノンティアに参加した人でも、リピーターは多い。東京から参加してくれた人も、僕が東京に戻ってきている最中も、人を増やして石巻に戻ってボランティアしている。僕はこれを「ボランティアーズ・ハイ」と呼んでいるのだけれど。

ボランティアーズ・ハイは「もっと酷い現場を...」と求めてしまうチョッとした面白い難点もあるけれど、結局足を運んでくれるだけ先に進んでる。

取材の最中、「行政など(の体勢)に不満はありますか?」と聞かれた。僕は「無い」と答えた。だって行政やボラセンありきでボランティアスピリッツは存在しているわけではないから。行政がお膳立てしてくれない、とか、無料バスを何で出さないんだ、なんて言う輩は根本的に違うと思う。実にシンプルで困っている人を無償の愛で手助けすることでしかないでしょう?

ともあれタノンティアはいかに多くの人がボランティアに向かってくれるか、を考えて行動している。タノンティアに直接参加してくれなくても構わない。人の手が被災地で増えればそれで良い。気楽に面白可笑しくレポートしながら気軽に気負わず、「ボランティアに向かってみようか」と思う人が増えてくれればそれで良い。きっかけになれば、それで本望。

気負わなくていいんだヨー。躊躇しなくていいんだヨー。

Posted taiga : 2011年05月23日 01:49

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