リサーチ2
2011年10月30日
(前回からのつづき)
おじさんが戻ってくるまで、牛乳くんと近隣のリサーチです。オーヤンさんのアパートを目指します。
車が一台ひっくり返って突っ込んでいた会社も修繕されて、仕事を再開しているようです。
足繁く通ったオーヤンさんの住むアパート。外壁工事でしょうか、シートで覆われています。
1階のドアは新しく取り替えられているようです。
「倉庫起こし」を行った場所です。倉庫も無くなっていれば散乱した腐敗さかなくんたちも見る影有りません。フェンスも新しく取り替えられていました。
裏のアパートも外壁は綺麗になっていました。2階部分に人が住んでいるのでしょうか、窓にはカーテン、屋根には真新しいテレビアンテナが据え付けられています。瓦礫が散乱した駐車場も今は綺麗になっています。
大きなマグロがあったり、インドかバングラ系のアジア人が庭に流されてきた車を(密輸用に)物色に来ていた現場です。瓦礫が全て取り除かれ雑草が生い茂っているままです。
そろそろかな、と戻ってみると...
ハルカンノがマイク片手にカラオケ熱唱中...。おじさんも戻って来ていてさらに大所帯になってきていたのでそろそろおいとま。
おじさんに、石巻の水揚げが遅い件に不満を言っている人の話をしたところ、港で水揚げされたとしてもそれを加工する工場が機能していないから水揚げを願っていないのだそう。なるほど、大きい港町ゆえの問題があるわけだな。まずはジッと我慢して港エリア等々の行政の決断を待たねばならないのか。
海沿いに走る松林の通りに出て「大和煮缶」のあたりを目指します。ところが松林は全て伐採されていました。なぜだろう。潮をかぶって全て枯れてしまったのかな?
胸クソ悪い。もし誰かがこれを、誰にも求められずに書いたのであれば本当に最悪のこと。稚拙な浮かんだ瓶の絵の中に「WE ARE ALL ONE」とか書いてある。半年以上後からやってきてもっともらしい落書きして去る。それより被災住宅の壁洗って歩け。それからWEとか使うなよ。
廃車置き場には相変わらず車の山。少し減ったかなぁ。
冠水の酷かったところは土盛りして舗装されている。黒焦げになってしまった小学校の近くの交差点には信号機が設置され灯っていた。どれも応急処置的な設置だろうけれど。
看板前はどんどんゴージャスになっている。献花に手を合わせるおじさんがいたので声をかけてみると、看板の通りを挟んで「味平」という中華料理店をひらいていたそうです。
尾形さん、店は無くなってしまったけれど店のあった場所からヘラを探し出し「石巻焼きそば」で再起を目指しているそうです。今年のB級グルメ全国大会へ招待されていたりと大忙しなようで、全国各地のたくさんの新聞取材の記事を見せてくれました。車に積み込んで手売りしていた石巻焼きそば特製ソースを購入しました。
本当に良く喋るおじさんでした。というかつくづく感じるのだけれど、被災者は自身の体験を人に話すことでかなり癒されている。
日本製紙工場の煙突の1つからは煙が上がっていました。希望の煙です。
最大級のタノミッドがあった場所も訪ねてみるときれいさっぱり無くなっていました。近隣の家は取り壊されているところもありました。(つづく)
Posted taiga : 2011年10月30日 23:59