tanonteer.taigart.com : 2011年10月


リサーチ3

2011年10月30日


(前回からのつづき)

タノミッドのあった場所から数百メートルのところに、最後のバスツアーでもタノンティアに入った旅館がある。人のツイッターの覗き見などで、その後、旅館再生のために奮起していることを知っていた。

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当然のことながら僕らが積んだタノミッドはもうとっくに片付けられている。2階の部屋にはカーテンが引かれているが、どうやらまだ営業は再開できていないようだ。もっと近くに寄って覗き込みたかったけれど、見覚えのある奥さんの車が目の前に駐めてあるので、もし会ってしまうと気を遣わせてしまであろうから、僕らは少し離れた場所から伺っていた。すると恐れていたことに...

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菊千代が僕らを見つけて寄ってきた!マズイ!僕らの臭いを覚えているのだろうか、吠えもせずにフツーに身を寄せ付けてきた。同時に奥さんが建物から出てきてしまった。僕らは顔を背け、気付かれないように必死に素知らぬふりをした。幸いにも奥さんが菊千代を呼んだことで、すぐ向こうへ行ってくれた。間一髪、気付かれないで済んだ。

悪いことをしているわけではないのだけれど、僕ら一団は急いで車に乗り込みそそくさと退散。石巻港インターから南三陸町を目指した。

インターまでの途中、たくさんのご遺体が仮土葬されていた運動場に供えられていた献花は全て無くなっているようだった。無事に全て埋葬されたのだろう。

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インターへ入る交差点には、最近取り替えられたばかりのような真新しい旅館の看板を見て取れた。希望が膨らむ。

南三陸町では毎月開かれている市を訪ねた。もう終わりの時間で撤収に掛かっている頃だったが、皆お目当ての海苔を買うことができた。賑わいと活気を見ることができてこれもアリなのかな、とも思ったけれど、何だか被災者と主催者と観光客のベクトルがズレている気がする気持ちは拭えなかった。明らかに南三陸の被災者ではない出展も見受けられたし、出店料はタダだけれど売上の10%を主催者に上納するシステムのため、結局その分、普段の売値に10%上乗せして商品を販売している店もあった。10%は今後のためや運営のために使われているのだろうけれど、その内訳や取引先は誰も知らない。仮に商売上手な南や西の人たちが切り盛りしていれば上がりの全てが被災地に落とされるわけではない。100%に近く税金としても納められるためには地元の団体のみで企画運営しなければならないのだろう。

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お祭り前に入ったチョーさんの親戚の八幡神社はずいぶんと片付いていた。石段の先には七五三の旗も並んでいた。

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ご自宅の建物は取り壊されていた。

皆お昼ご飯を食べていなかったため、帰りに登米によって油麩丼を食べてみることにした。

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物産館で僕は登米の新米を購入。

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初めて食べる油麩丼は予想を上回らない味でした。

仙台に戻って僕は予定が入っていたのでみんなとお別れ。某助成金の報告会で南三陸に泊まっていた開発さんや広島のみはるちゃんらと会って震災情報交換、というか飲んだくれてしまっていただけれど。
ジュンヤ君も遠方からお疲れさまでした。

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今回のリサーチで回りきれない場所が沢山あった。渡波や大街道地区も見て回りたかった。復興している!という実感は正直あまりなかったかも。ほんと徐々に徐々にといった感じだ。
ただ、出会う人たちの表情は明らかに明るくなっている。ここからだろうな。

せんだいメディアテークで開かれているタノンティア資料室は10月31日をもって閉鎖します。ご来場頂いたみなさまありがとうございました。

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リサーチ2

2011年10月30日


(前回からのつづき)
おじさんが戻ってくるまで、牛乳くんと近隣のリサーチです。オーヤンさんのアパートを目指します。

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車が一台ひっくり返って突っ込んでいた会社も修繕されて、仕事を再開しているようです。

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足繁く通ったオーヤンさんの住むアパート。外壁工事でしょうか、シートで覆われています。

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1階のドアは新しく取り替えられているようです。

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「倉庫起こし」を行った場所です。倉庫も無くなっていれば散乱した腐敗さかなくんたちも見る影有りません。フェンスも新しく取り替えられていました。

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裏のアパートも外壁は綺麗になっていました。2階部分に人が住んでいるのでしょうか、窓にはカーテン、屋根には真新しいテレビアンテナが据え付けられています。瓦礫が散乱した駐車場も今は綺麗になっています。

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大きなマグロがあったり、インドかバングラ系のアジア人が庭に流されてきた車を(密輸用に)物色に来ていた現場です。瓦礫が全て取り除かれ雑草が生い茂っているままです。

そろそろかな、と戻ってみると...

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ハルカンノがマイク片手にカラオケ熱唱中...。おじさんも戻って来ていてさらに大所帯になってきていたのでそろそろおいとま。
おじさんに、石巻の水揚げが遅い件に不満を言っている人の話をしたところ、港で水揚げされたとしてもそれを加工する工場が機能していないから水揚げを願っていないのだそう。なるほど、大きい港町ゆえの問題があるわけだな。まずはジッと我慢して港エリア等々の行政の決断を待たねばならないのか。

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海沿いに走る松林の通りに出て「大和煮缶」のあたりを目指します。ところが松林は全て伐採されていました。なぜだろう。潮をかぶって全て枯れてしまったのかな?

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胸クソ悪い。もし誰かがこれを、誰にも求められずに書いたのであれば本当に最悪のこと。稚拙な浮かんだ瓶の絵の中に「WE ARE ALL ONE」とか書いてある。半年以上後からやってきてもっともらしい落書きして去る。それより被災住宅の壁洗って歩け。それからWEとか使うなよ。

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廃車置き場には相変わらず車の山。少し減ったかなぁ。

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冠水の酷かったところは土盛りして舗装されている。黒焦げになってしまった小学校の近くの交差点には信号機が設置され灯っていた。どれも応急処置的な設置だろうけれど。

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看板前はどんどんゴージャスになっている。献花に手を合わせるおじさんがいたので声をかけてみると、看板の通りを挟んで「味平」という中華料理店をひらいていたそうです。

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尾形さん、店は無くなってしまったけれど店のあった場所からヘラを探し出し「石巻焼きそば」で再起を目指しているそうです。今年のB級グルメ全国大会へ招待されていたりと大忙しなようで、全国各地のたくさんの新聞取材の記事を見せてくれました。車に積み込んで手売りしていた石巻焼きそば特製ソースを購入しました。
本当に良く喋るおじさんでした。というかつくづく感じるのだけれど、被災者は自身の体験を人に話すことでかなり癒されている。

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日本製紙工場の煙突の1つからは煙が上がっていました。希望の煙です。

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最大級のタノミッドがあった場所も訪ねてみるときれいさっぱり無くなっていました。近隣の家は取り壊されているところもありました。(つづく)

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リサーチ

2011年10月30日


今日は久しぶりに石巻を訪ねることにしました。僕の最後の作業は南三陸だったし、精力的なサテライトのみんなも団体以外は受け付けなくなってしまった石巻VCでの作業ではなく、ほかの地域の作業がほとんどだったため誰も現在の石巻の様子がわかりません。今回は作業では無く視察。呼びかけに集まってくれたのは牛乳君とぬマッチ、はるかんの、そして川崎市からジュンヤ君です。

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ひさしぶりのタノストップでコーヒーを。

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最初に訪れたのは浄水場。1回目のタノンティアバスツアーでボランティアをしたニャンチャンワンチャンの動物救護センターのあった場所です。他の場所に移って今は更地です。ウ○コの一つも落ちていないようです。

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石巻VCのあった石巻専修大学へ。敷地の外の河原沿いにはホームレス化してしまったボランティアのテントがいくつか張ってありましたが、公式テントサイトになっていた校庭はすっかり運動場の姿に戻っていました。

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道具倉庫になっていた建物の中はちょっと荒れ放題な感じ。倉庫番のチャーリーたちの姿もありません。

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多くの作業をした松並地区へと向かいます。

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石ノ森漫画館の中州にかかる橋の欄干も綺麗になっていました。車を停めてうろうろしていると通りすがりのおじいさんが「どっからきたの?」と声を掛けてきました。「東京から、あ、でも仙台から」というと、そうか、といって自分の被災の体験やこのあたりがどうだったかをを話し始めます。3月末からボランティアにちょくちょく来ていたことを話すと、ありがとう、といいつつもちょっと物足りなそうで寂しそう。きっと見知らぬ観光客に自分の体験したことを話すことで癒されるのでしょう。被災者の話を聞いてあげるのが大切なカウンセリングの一つだとつくづく感じました。

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3度ほど現場に入ったヒルトン姉妹のお宅周辺。工場は外壁が塗りなおされ、2階には生活の臭いがします。でも周囲は閑散としています。山積みになった土のう袋や瓦礫の山はすっかりなくなっていました。

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何度もお昼休憩で利用させてもらった駐車場もきれいに整備されています。

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倉庫転がしや釘踏みをしたお宅。黄色い家屋は取り壊されて更地になっていました。お隣さんが来ていたので話をしましたが、行政の方針がまだ決まっていないので、家を直すかどうか悩んでいるとのこと。「南三陸や気仙沼は港が稼働している。アジア一(いち)の漁港だって言われてるのに、市長は何もしない」と憤っていました。

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知る人ぞ知る「チ○コのカニ」事件の元漁師のおじさんの家。ん?綺麗になっている。そして家の中からは楽しげな笑い声がします。被災者の人と再会するつもりは無かった(むしろ会わないように心がけていた)のですが、こっそり覗こうとするとたまたま家から出たところこちらに気付かれてしまいました。おじさんは僕らのことを覚えてくれていました。「家ばツレーに(綺麗に)したんだ。ホレホレ、上がってって!」とあまりに嬉しそうなのでちょっとお邪魔することに。

縁側から家の中に上がらせてもらうと沢山の美女達がお茶を飲んだり甘い物を食べたりと宴の真っ最中。家の中はすっかりリフォームされていて、大型テレビも鎮座しています。ボランティアに入ったときにも60インチのテレビが瓦礫の下から出てきました。「もっとおっきいテレビが欲しかったんだ。んだっけどももうこのサイズまでしがないだど(もっと大きなテレビが欲しかったのです。しかしながら、このサイズまでしかないのですって)」と十分すぎるサイズの55インチのテレビにちょっと不満を漏らしておりました。

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ここに集まった人たちはおじさんの通っていたカラオケサークルの面々。以前にもきいていたことですが、市民センターでのサークル活動のほかに、(2月に他界した母親の亡き後)自分の家にみんなを集めて家でもカラオケパーティーを開くのが日常でした。家がリフォームされ、テレビとカラオケセットも再導入され、これから毎週日曜日にここで寄り合いカラオケが開かれるのだそうです。人を招き入れるのが大好きなおじさんは見るからに人が良く、みんなから愛されているのがわかります。ひっきりなしに掛かってくる電話を片手に、新しく手に入れた中古の軽自動車で方々に人を迎えに行く人の良さ。ものすごく暖かくほのぼのとしたコミュニティーです。

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独り身のおじさんお庭には植物も植えられていました。

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津波にさらわれてしまった倉庫も立派なものに新調されていました。

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震災直後に仙台まで買いに行った愛車の中古カブ。「○十万もして新車よりも高かったんだぁ〜」と笑顔で話していました。ここぞとばかりに高く売り、それを言い値で受け入れる、という宮城、仙台の「らしさ」を垣間見ました。700円で買ったキャベツを手に「うれしいです」と震災直後のテレビに映る光景を思い出しました。

牛乳君がトイレをお借りしたときに別の部屋にも大型テレビがもう一台あったそうです。「リフォームに倉庫にテレビに最新カラオケセットに...かなり大変だったでしょう?」と尋ねると、ニコニコしながら「ほれ、おれはタバコも酒も賭け事もやんねぇし、カラオケだけだがらなんどがなったんだ。ほれでもこれでぜーんぶ無くなってしまっただけんどもな」と言っていました。みんなが楽しむ場づくりをするのがとても好きなんだろう。みんなに慕われて本当に幸せそう。ちなみにおじさんは僕らがボランティアに行った頃から続けてる『携帯電話のアンテナ用の発電機などを見張る仕事』をまだ続けているそうです。

お茶や大福や柿など、美女達に勧められているうちに去るタイミングを逃してしまい、気がつくとおじさんも誰かを迎えに出かけてしまいました。さすがに戻って来るまでは帰ることができないので、牛乳くんとほかの現場の様子を見に抜け出しました。(つづく)

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艶声・美女軍団のみなさま


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タノンティアカー(10/30)

ボシュウ | 2011年10月28日


急ではございますが10月30(日)のタノンティアカー、募集です。見ず知らずの人も歓迎、過去記事読んで雰囲気つかんで参加して下さい。
ただし、今回は瓦礫撤去などのボランティア活動はありません。気仙沼以南から石巻まで南下して、今までにタノンティアを行った場所や街などを視察する予定です。

7:45 北四番町駅(味の素ビル側デイリーヤマザキ前)

夕方6時〜7時ころまでには仙台市内に戻ってくる予定です。
ガソリン代は割り勘でお願いします。

○喫煙者に耐えられる人
○汚くて臭い運転手に優しい人
○下品な話に耐えられる人
など歓迎です。乗車希望の方は
ikasete(a)taigart.com ※(a)=@
まで、希望日と氏名、希望乗車場所、携帯番号などをメールしてください。

※余震の影響や天候不良で当日中止になることがあります。当日早朝に電話で中止を伝えることもあるので、携帯電話番号は忘れずに記載して下さい。また、人数に限りがありますので乗車可能な場合はこちらから返信させて頂きます。携帯メールなどはパソコンメールを受け取れる設定にしておいてください。

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