tanonteer.taigart.com : プロジェクト?


プロジェクト?

2011年05月11日


最近、ちらほらWEBやツイッター上で「タノンティアプロジェクト」という表現が使われていますが、僕はここのところの自分の行動について、一切プロジェクトの意識はありません。

「タノンティア」は僕の単なる個人的な行為であります。アーティスト活動として行っているものではありません。

ボランティアをして、ブログに報告を書き、ボランティアに足を運んでくれる人が増えてもらうようになればいいなぁと思っている日常のこと。むしろ「ボランティアのためにアーティスト活動一時中止します」と言ってやっている活動です。
いわゆるアートプロジェクトのような計画をして行っているものではなく、行き当たりばったり、成り行きと僕の気分の上でしていることで、今では協力してくれる人もいたりしていろんなことが起こっていますが、それは結果でしかありません。

アーティストですから、僕のその一連の行為をアートワークだと言う人もいますし、言われればそれまでかもしれませんが、いわゆるプロジェクトの意識は全くありません。ですから「タノンティアプロジェクト」というものは存在しません。そもそもそんな、たいしたもんでもないし。

「タノンティア」とは僕がボランティアをすることですが、活動グループ名にも使われます。「タノンティアする」「タノンティアに参加する」というのは。「タノタイガとボランティアする」ということです。

プロジェクト、とかいって格好よさげに仰々しくしたら、ボランティアすることも仰々しくなる。「困っている人の力になる」というそれだけでしかない。

「力がないから」とか言っている人もいるけれど、泥の付いた皿洗いだって、動物の世話だって、お年寄りの話し相手だってボランティアとしてやれることはあります。ちょっと調べれば自分の条件に合うことはきっとあるでしょう。自分に何ができるかを探す前に言い訳が多い気がしてなりません。「忙しい」とか「渋滞の邪魔になる」と、行くために方法や手段を探すより、行けない理由を探している人が多い気がします。まだ「ボランティアに興味がない」「休みの日はのんびりしたい」「有給使うのもったいない」と言ってる人のほうが潔い。どうしても行けない人の例を挙げて「いけない人もいるよね」って、自分はそこにあてはまらないのに。点滴つけてたり、子育てがあったり、朝夕休み無く働く人などどうしても行けない人がいることなんて重々承知してます。「精神的に耐えられるか...」って、そこで毎日、そしてこれからも過ごして行かなければならない人がたくさんいます。「逆に迷惑かけちゃう人とかも」って、行って見なきゃわからないでしょう。80歳を過ぎた人たちも毎日のように家の瓦礫や庭のゴミを拾ってます。「ひどいねぇ、かわいそうだねぇ」で被災地の生活は良くなりません。同情するなら泥すくえ。

朝ボランティアをはじめる前に、名簿に名前とどこから来たかを書かされます。30名分ほど書くことができる欄に宮城とか仙台と書いている人は2、3名。東北を、宮城を、自分たちで考えて復興していかなければならないのに、今のこの被災地の現状やそこに暮らす人たちの感情や生活を見ずして何を一緒に議論できるというのでしょうか。誰の論理で被災地のこれからを決めるのでしょうか。自分なりの感覚やビジョンを持たなければ、選挙で人を選ぶことだってきっこない。

宮城、仙台のみなさん、被災者気分は落ち着いたころでしょうか。
そろそろ一度くらい、いかがでしょうかね?
まだまだたっぷり瓦礫にヘドロ、ありますよ。

Posted taiga : 2011年05月11日 20:18

Comments






Remember personal tanonteer?


©2015 TANOTAIGA. All Rights Reserved.