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チェンジ

2011年04月06日


そもそもボランティアをしているブログなんてつけなくてもいい、と考えていました。
でも自分が参加してることを書けば、アーティストとして何かしたい、でもアートで何ができるんだ?と悶々としている人たちが、今はアート抜きでできる役に立つことがあるんだ、やっていいんだという気持ちを後押しできれば思ってました。ですからこのあいだ毒も吐いてしまったわけです。

でも「大変だから来てみて!」とは裏腹に、大変さを伝えるとビビってしまう人もいるだろうなぁ、とも考えはじめました。
ただとても難しい。
惨状をビジュアルイメージで伝えれば、興味本位ででも足を運んでボランティアに参加してくれるかもしれません。でも惨状を見れば、それだけ腹決めないとならないと思って一歩が踏み出せなくもなってしまう人もいるかもしれません。
難しい。

ところでボランティアの中には興味本位の人も見られます。有名アウトドアブランドのカッパを着て来たせいで汚れたくないからと手袋と長靴しか汚れていない人もいます。ちょっと〜、と言いたくなるし、それを「モンスターボランティア」と酷して騒ぐ人もいます。ただ僕はそんな人たちを結果許せてしまいます。なぜなら自腹で時間を割いて現場に来てボランティアに参加するまでの行為をしている人たちです。そして汚れないようにと控えめな動きではあるけれど少なからずゴミを仕分けたりガレキを手で運んだりしているからです。そしてそんなモンスターと言われている人は実に少ないです。そんな僅かな人を取り上げたメディアの情報を見て批評する人たちは、現場にすら来ていないし、これっぽっちの泥も掻いてはいないのです。モンスターボランティアを批評する人は心の裏で自己弁護をしているのかもしれません。どこにでも怠ける人はいます。1週間キャンプして1日しかボランティアしない人もいるでしょう。でもきっと0ではないので許せます。ボランティアを人に強要されてするものではないことを万人が知っています。だから僕も動けない人や動かない人のことも十分理解しています。それぞれの立場でやるべきことがあるのもわかっているつもりです。変な勧誘にもなりたくはありませんし、日々を普通に過ごすことに努め、経済活動しているひともありだと感じています。

僕はボランティアをやっている自分をひけらかすつもりもないです。ただ、人の手助けになるのは事実だし、一生のうちで二度と経験できない(したくない)惨状だし、東京に住みつつの郷土愛もあります。でも最も重要なのは、少なからず僕は自分の言葉でこの歴史的な出来事を責任もって語る権利を得たいと考えています。

振り返れば神戸や新潟の震災は自分にとってリアリティがなく、募金はしてもボランティアに参加もしていませんでした。同情はしつつも現場に行くと迷惑になることもある、なんてどこが自分に言い訳していたのです。ただ、今となってはやっぱり後悔が募ります。
数年前の栗原市の震災後にもアートのプロジェクトを考えて、市の職員の方ともお会いし、仮設住宅を友人とともに訪ね歩きましました。そこで現実をみたら自分の考えていたアートプロジェクトの不必要性を突きつけられ、無意味と迷惑を感じて結局頓挫してしまいました。そういった一つ一つの経験や思いから、まずは今の無名ボランティアという選択をしました。

現場を体験しなきゃわからない。必要か不必要か、良いか悪いかも自分で判断できないのは自分がいやなのです。ですからアートはもうちょっと後でもいいと思っています。点ではなく線で捉えてみる。きっとその時が来ればアートにしかできないこともあるはずだと信じています。やっぱりアートって凄いんです。その来たる時のための準備でもあるし、無名の無数の人手が必要なのは今なのです。

ここのところ真面目に書いていることが多く、まわりから心配もされてそんな人たちに感謝もしますが、キャラ変更になってるみたいで気持ち悪いです。ユーモアを忘れると僕らしくないのでこれからもっと下品で悪ふざけしながらのブログを心がけます。デーブスペクター氏に学びました。そして「明るく楽しいボランティア」で人を呼ぶ作戦に変更していきます。

さて、癒しを求めて芸術鑑賞にでも行くかな。

Posted taiga : 2011年04月06日 10:26

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