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アーティスト ノ ミナサンヘ(ドクイリキケン)

2011年04月03日


我が輩はアーティストである。
アーティストらしい活動は今はしてない。

震災直後、僕は瞬間的に「アーティストとして何ができるか」を考えました。
作品を売ってその収益を、と自分も考えたし誘いも来ました。
でも僕はそれを選べませんでした。
なぜならそれは今すぐではなくても良いと考えたからです。

僕の地元が被災地でもあるし、まずは比較的通信ができる東京から身近な人たちの安否情報を自らのブログをハブとして掲載することをしました、というか、新幹線も高速道路も止まり、それしかできませんでした。

友人達の安否もある程度落ち着いたころ幸いにも高速道路も開通し、車に救援物資を積み込んで仙台に戻りました。家を流され仙台に避難してきた友人に自転車や物資を届けました。実家の片付けをした。ひとりぼっちで不安に過ごしているであろう友人に電話やメールの連絡を取りつづけました。

気仙沼で被災した友人を訪ねて物資を届け、思いの外、彼の家でやれることは少なかったのですが、実家の1階にあるお店の防犯用にと壁と扉を持参した垂木とベニヤ板で応急処置として作りました。

その日の朝見たテレビで「石巻のボランティアが足りない」と言っていました。気仙沼から破滅的な街を見ながら石巻までたどり着きました。仙台に帰るつもりをしていましたが、そこに留まり車で夜を過ごしてボランティア活動に参加しました。

メディアを通じて得た情報ですが、美大生らが作品を売ったりその場で作ったりしてその収益から寄付を行うそうです。アーティスト達は作品を売ってその収益を寄付するそうです。美談にも聞こえます。

何故「アーティストとして」とか「アート」にこだわるのでしょう。
僕が作品を売ってその収益を...と考えられなかったのは、僕は決して作品に値がつく作家ではないけれど、便乗商売ととられたくなかったからかも知れません。そして今の瞬間にそれをやらなくても後でもできる、という行為のプライオリティーは低かったからです。

お金が少しでも集まるのであろうからやらないよりやったほうがましなのかもしれません。
ただ、非難承知で毒を吐きます。現実離れした現実の酷い惨状を見てきた人として。

学生のみなさん、みなさんはまだマーケットにも乗っていないでしょう。どんな作品かわからないけれど震災を盾に作品を売って名を売ることもでき、みなさん自身も利益を上げることができるでしょう。しかしながらそれは僕にはアーティストとして作品で勝負しているとは思えないのです。お祭りイベントをして震災復興に寄与していると勘違いしているのではないか、という疑念さえ湧いてきます。震災、なんて理由付けしなくても、普通に展覧会をやって普通に作品を売って、その売上をこっそり募金すればいい。震災の名を借りて人を集めて震災の名の下に買ってもらう意味がわからない。自粛する必要も無ければ募金をかたる必要も無い。人を呼んで義援金を集める企画は美術館や学芸員がするほうがよっぽど効率がいいし内輪で消化されないし経済も動く。西日本ならまだわからなくもない。でも数時間でこれる距離ならば、作業着着たまま来たらいい。

経済活動から離れた多くのみなさんに数字の話をします。一人一人の人件費を一日あたり5000円と見積もったとします。一週間、被災地で汚泥にまみれてボランティアをしたとしましょう。一人あたり35000円捻出できた試算です。一週間のイベントで作品一点につき50%を寄付するとしても70000円の売上が必要なのです。

そして、作品の収益を義援金にというのであればそれは今だけでなくて今後もできることです。生涯かけてもできることなのです。あなた方が、今後売れる作家になって得た利益から義援金を捻出することもできるでしょう。この被災の経済的な余波は数十年にわたって続きます。

そしてむしろ被災地を生で感じること、肌で得る感覚ははあなたがたがアーティストとして活動する上で、もっとも重要な経験の一つになるかもしれません。そのアートを語ったイベントは世界中のミュージシャンが集まってCDを作って売るのとは訳が違うし、あなたがたはまだ莫大なお金を集めることのできるSMAPや嵐やパンダでは無いのです。

夜空を見上げてみんなガンバレではないし、被災地では一人でも多くの人の手作業を必要としているのです。その現実に気がついてください。

先日、アーティストの中ザワヒデキさんからbccでメールが送られてきました。
<転載>
「新・方法」を構成する平間貴大、馬場省吾、中ザワヒデキの三名は、芸術家としてではなく市民として、民間団体が主宰する災害支援ボランティアに応募した。
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僕はたまらず返信しました。よろしくお願いします、と。
「芸術家としてではなく」
もちろん中ザワさんの行為をメールなどを通じて発信すること自体が僕は芸術家としての活動だと取りました。
スケジュールの都合で5月になってしまいそうだけれど石巻に派遣されそうだと返信が来ました。

各地のアーティストのみなさん、イベントの内容は「被災地のボランティア活動」でも今はいいのです。駆けつけられない理由を見つけないで、駆けつけるための手段を探してください。東京からなんてすぐです。車一台で4人は乗れます。皆で集まって座って議論するのも良いですが、皆で集まり立ち続けで瓦礫を撤去しててもいいのです。

頭より今は体を使えって。何か特別な自分のアイディアなんかよりもっと単純でいい。
引き籠もってアーティストとして何ができるか、なんて悩みは汚泥を掬い続けていると吹っ飛びます。マッスもパースも垂直も水平も素材感も全てを失ったこの惨状は、有名な作品をでは得られないことがあるでしょう。アーティストとして何ができるかはもう少しあとでも大丈夫です。

被災の情景が瞼に映って寝付きも悪く、少々呑んでおります。

Posted taiga : 2011年04月03日 02:17

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