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イチジキカン

2011年04月02日


気仙沼〜石巻の被災地巡礼から一時帰還しました。津波の被害は戦争より酷いかも知れないと感じています。震災から3週間も経っているのに、水こそ引いたものの何も変わっていない現状に絶句します。

救援物資としてわざわざ熊本の業者にネットで電池を注文して送ってくれた方、ありがとうございます。伝票が配達時に剥がされていたのでどなたか存じません。ご一報ください。

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気仙沼市内。

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気仙沼港近く。

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気仙沼港から鹿折に向かって。港から数キロ先まで船が流されています。

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鹿折地区は火災のあった地区です。駅前から一面の焼け野原が続きます。

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気仙沼と鹿折との移動は線路を通って。真っ暗なトンネルも抜けます。ここは線路が残っていますが希で線路が折れ曲がって数百メートル流されているところがほとんどです。陸橋もありません。海沿いの路線が元のように開通するには10年はかかるだろうと想像できます。

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海岸から2km以上あります。形をとどめている建物も少ないです。

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気仙沼〜志津川へ向かう45号線の車窓から。破滅的な風景はどこまでも続きます。

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見たことのない白黒の魚の群れかと思いきや、黒い皮膚が剥がれ肉や骨が剥き出しになっています。

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サンポート。人の大きさと比べると津波の大きさがわかります。

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サンポートと志津川病院。

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石巻市、北上川沿いの石ノ森漫画美術館。川の水位が高くなっていると思ったら水が増水しているのではなく、川沿いが地盤沈下していて海抜0mに近くなっています。

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見知らぬボランティアの人たちと見知らぬ老夫婦被災者の家の泥まみれの家財を外に運び出します。畳は水を吸って重く数センチの泥が覆っています。ガラスや食器、全てのものは壊れて散乱しています。思い出が詰まっている大きな欅の棚も仏壇も全てゴミになります。放置されていた冷蔵庫の生ものの腐った臭い、油、海水の潮の臭い、糞尿。泥と家財を運び出すだけで5人がかりで2日間。とうてい住める状況には至っていません。何千件、何万件の家にこれだけの人と時間が必要です。同じチームになった人たちは和歌山から救援物資積んで、仕事を休んで石巻に駆けつけていました。GWにもまた来るそうです。ありがたい。

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水の流れがぶつかるところには6台もの車が折り重なっています。

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道路は油と泥まみれ。僕の車もスリップして蓋の割れ落ちた側溝にスタックしました。和歌山チームの車に引っ張り出して貰い難を逃れました。

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日に日に遠方からのボランティアのテントが増えています。でもまだまだ人手は少なすぎます。県外ナンバーも札幌から大阪から全国から来てくれています。イタリア人のチームはボランティア用のテントを組み立てていました。

週明け月曜日からまた石巻にボランティアで向かいます。仙台市内から一緒に行きたい人は連絡ください。朝に仙台を出て石巻の現場で作業をし、夕方暗くなると作業は終了するので日帰りもできます。
装備としては、作業着(もしくは汚れてもよい格好)、着替え、昼食、ゴム手袋、長靴、汚れ義を入れる袋、くらいです。手ぬぐいとマスク、軍手はボランティアセンターで支給していますが持参のほうが好ましいです。作業に必要な道具類はボランティアセンターに置いてあります。

被災地を巡ってくると、仙台の町中は平和すぎるくらい平和だと感じます。うちも食器がほぼ全損したり未だガスは出ませんが海沿いの被災地とは比べものになりません。ガレキの中を大きなカメラを持ってウロウロしているだけの被災地観光客に憤りさえ感じてしまいます。一人でも多くの人の手が必要でしょう。

沿岸部の被災地はテレビや新聞ではない、もっと酷い皮膚感覚を感じます。できるだけ沢山の人たちにこの壮絶な皮膚感覚を味わって欲しい。1日だけでもボランティアに参加して欲しいです。確かに過酷な重労働ですが、被災者の方々は地震当時から今日までもいつまでもこれが続きます。精神的にも滅入ります。

復興だ、頑張ろう、という気持ちはあるけれど、それは自分自身にウソをついているような感覚になるほど絶望的な風景をこの僅かな道程で見てきました。
こうやってブログ書いている間も、被災地ではガレキの撤去、そして原発では恐怖に押しつぶされそうになりながら作業を続けている人がいると思うと胸が締め付けられるおもいです。僕の日常も考えなければならないし被災地の日常を考えると、アイデンティティーを維持するバランスが難しい。

追記
先ほど毎日新聞の記事を見つけました。仙台駅東口から石巻までボランティアの無料シャトルバスが出ているそうです。
宮城県石巻市の災害ボランティアセンター(0225・23・6011)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110402-00000015-maip-soci

東京都民はこちら
都社会福祉協議会が運営する東京ボランティア・市民活動センター(03・3235・1171)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110330k0000m040121000c.html?inb=yt

Posted taiga : 2011年04月02日 16:10

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